感情のメディアとしての「お金」

先日、大衆演劇を観に行ったのですが、そこで「お金」ってスゴイな、とふと思ったのでメモ。

何がスゴイのかって、ドラマ(物語)のなかで喜怒哀楽のトリガーとして「お金」以上に使いやすいツールってなかなか無いんじゃないかというスゴさ。

ヒトは老若男女問わず「お金」が無ければ困るし、下手したら死んでしまうかもしれないし、盗まれれば悲しんだり怒ったりするし、一方でたくさん稼いだら喜びや安堵を感じたり、もしくは人生を狂わせることもあるかもしれない。

先日観た劇の主人公はお金に困っている設定で、お金の工面にまつわる悲喜交交が詰まったドラマに大いに笑い涙したのだけれど、この「お金」という舞台装置が仮に「ヒゲソリ」だったらそうはいかない。「ヒゲソリ」が無くて困っているおじさんを観て、我が身を投影して泣いたり笑ったり感情移入出来る子供や女性はなかなかいないと思う。

もし「泣けるヒゲソリ」のドラマを作ろうとすれば、「父親の形見のヒゲソリ」「人生で初めて買ったヒゲソリ」「彼女との思い出の旅行でプレゼントされたヒゲソリ」等々、「ヒゲソリ」の価値を抽象化する工程がひと手間多く必要になるだろう。

その点、「お金」の価値はそもそも抽象度が高くかつ認知度も高いので、ドラマの中でわざわざその重要度を伝える手間が必要無い。文脈無しに「ヒゲソリが無い」と青ざめる主人公の心境が理解出来なくても、「お金が無い」と青ざめる主人公の心境は多くのヒトが即座に理解出来る。

この説明の不要さって、1時間とか2時間でドラマを作る際に、おそらく結構重要なんじゃないかなと思う。だって「ヒゲソリ」の説明に20分とか30分かけてしまったら、ドラマの他の要素を描く時間が削られてしまうから。この点、「お金」って劇作家にとってすごい便利なツールなんじゃないかなと思いました。

演劇において「お金」はあえて吉野家風に例えて言うなら

・うまい(喜怒哀楽全て提供可能)
・やすい(小道具としてコンパクトで手に入れやすく手軽)
・はやい(説明不要)

が揃った万能ツール。

仮想通貨等が流行し、現金が淘汰されキャッシュレス化が進みつつある昨今、「お金」という存在をあらためて見直す議論や話題を多く耳にするようになりましたが、「お金」には市場における経済的価値のみならず、実は情緒的価値もそこには秘められていたのではないか、と大衆演劇を通して発見したつもりになった帰り道でした。

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